アンナ・カレーニナには、トルストイが刻んだ名言や格言がたくさん出てきます。
まさに、人間社会の真理、人としての生き方や仲よい夫婦の秘訣となるような言葉です。
物語をとおして、この名言や格言を理解することで、実生活にも活かせる学びを得ることができます。
小説を読んだことがなくても楽しめますので、気軽にお読みください。
それぞれの名言や格言は、日本語のほかにロシア語版小説と英語版小説の文章を併記しています。
日本文は意訳している場合がありますので、物足りないときはロシア語や英語の文章で理解を深めてください。
幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきがことなっているものである。
Все счастливые семьи похожи друг на друга, каждая несчастливая семья несчастлива по-своему.
Happy families are all alike; every unhappy family is unhappy in its own way.
小説アンナ・カレーニナはこのフレーズから始まります。
「アンナ・カレーニナの法則」として知られ、例えば、ジャレド・ダイヤモンドによる有名な歴史書「銃・病原菌・鉄」などでも引用されています。
幸福と不幸のみならず、成功と失敗の法則としてもよく使われています。
すなわち、「成功のカタチは似ているが、失敗の原因はそれぞれ」という感じです。
ぜひ最後まで読んで、この格言の深みを味わってください。
長編小説アンナ・カレーニナを挫折せずに読むための方法まとめなんぴともおのが富には満足せざれども、おのが知恵には満足するものなり。
Никто не доволен своим состоянием, и всякий доволен своим умом.
No one is satisfied with his fortune, and every one is satisfied with his wit.
このフレーズは、第2編第6章に出てきます。
ベッチイ公爵夫人の邸宅でのお茶会の来客である外交官のセリフです。
意味はそのままで、だれでも自分だけはバカじゃないと思いたがるもの、ということです。
「知足安分」を裏返したようなフレーズでしょうか。
裕福な貴族の集まりの中で発言させているところに、トルストイの皮肉が効いているように感じます。
ちなみに、この小説はセリフすらない人物まで名前が付けられているくらい登場人物が多いですが、この外交官には名前がありません。
逆にあえて名前のない人物に発言させることで、このセリフがより一般的で普遍的なニュアンスを持つように感じさせています。
役所に勤めていない者にはちょっと理解できないが、勤めている者にとってはごく自然な、それがなくては役所勤めができぬほど重要な義務、つまり、自分のことを忘れられないために本省へ顔出しする義務
известной всем служащим, хотя и непонятной для неслужащих, нужнейшей обязанности, без которой нет возможности служить, — напомнить о себе в министерстве.
so familiar to every one in the government service, though incomprehensible to outsiders—that duty, but for which one could hardly be in government service, of reminding the ministry of his existence.
このフレーズは、第3編第7章に出てきます。
著者トルストイがオブロンスキーの行動を説明するために持ち出したフレーズです。
役人の職業文化を揶揄していますが、人の良いオブロンスキーに重ねることで、毒気が若干中和されています。
現在の日本に置きかえると、例えば、国の行政機関の地方支分部局の幹部が、わざわざ霞ケ関にある本省へ顔合わせに行くようなものでしょうか。
官僚的な組織においては、重要なしごとなのかもしれません。
どんな環境でも、人間が慣れることのできないものはないし、とりわけ、周囲のものが自分と同じように暮らしているのを見た場合には、それはなおさらである。
Нет таких условий, к которым человек не мог бы привыкнуть, в особенности если он видит, что все окружающие его живут так же.
There are no conditions to which a man cannot become used, especially if he sees that all around him are living in the same way.
このフレーズは、第7編13章の冒頭に出てきます。
誰かのセリフというわけでなく、筆者たるトルストイがリョーヴィンの境遇を説明するために用いた格言です。
日本語的な表現だと「住めば都」が近いニュアンスですが、住む場所というより生活スタイルや習慣が大きく変化することの方がしっくりきます。
例えば、学生生活を卒業して社会人になる時、新婚生活、初めて子どもが生まれた時、などです。
新しい生活を前にすると、だれでも不安を覚えるものです。
自分にはとてもできないと思われたことでも、やってみると慣れないなんてことはありません。
人間に理性が与えられているのは、人間を不安にするものから、のがれさせるためですわね。
На то дан человеку разум, чтоб избавиться от того, что его беспокоит.
That’s what reason is given man for, to escape from what worries him.
このフレーズは、第7編31章に出てきます。
車両の中で、アンナの目の前に座っていた夫人が口にしたセリフです。
会話ではなく、もちろんアンナに対して発した言葉というわけでもありません。
が、アンナはまるで自分の思いに応えたかのように感じます。
このセリフも、たまたま居合わせた名前のない人物に言わせているところが興味深いです。
この後のシーンへのつながりを考えると、アンナの幻聴じゃないかと思えるくらい、タイミング的に良すぎてゾクっとします。
小説アンナ・カレーニナについては、人物相関図や登場人物の一覧などの記事も書いています。
これから小説を読んでみようと思った方や、読んだことはあるけど内容を忘れた、という方はこちらの記事をご覧ください。